庄内の釣場詳解

黒研

2005年08月17日 21:28

 釣りを奨励していた庄内には大昔から、地磯を記した書物が数多くある。文久三年に、庄内藩の陶山槁木が書いた 「垂釣筌(すいちょうせん)」は庄内の釣り文化を知る上で貴重な書とされている。
 明治、大正に入ると武士の釣りから一般庶民の釣りへと変わり、と同時にその技術も進化し、昭和に入って自動車の 普及と共に庄内中が釣り狂いとなった。庄内の釣り場ガイド的な書物も釣り具店を中心として記載され発行されている。
 昭和初期の時代は、今のような印刷技術も発達していなかった為、地名や岩場などはすべて手書きのものが多かったが、昭和40年以降になると、航空写真や詳細な解説付きのものが出回るようになった。現在では、そういった書物は、絶版となったものが多く、古本屋などでは多少汚れていても高い値段で引き取ってくれるようだ。
 最近では、釣り関連の雑誌社による庄内の釣り場の紹介が多く記載されているが、中には地元の人間から言わせると、 完全に嘘と思われる内容や、公開し過ぎと言った内容のものが結構あるので、記載するからには十分な調査と配慮を、お願いしたいものである。


昭和12年8月13日発行 著者(山内善作)発行所(菅原釣具店)持ち主(秦義彦)
庄内地方の湯野浜から加茂の磯場を記したもの。筆による手書きの書物だが、岩の形や名称、釣れる魚の種類まで事細やかに記述されている。


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